ふたりのハートを
永遠に結びつける
魔法の料理かもしれない。

ラ・グランターブル ドゥ キタムラ
オーナーシェフ 北村 竜二氏(45才)

60席を有す店内は、レストランウエディングの会場としても度々使われる。時にはプロポーズの場所として、時にはかけがえのない人と一緒に。一度しかない人生の、特別な一瞬にふさわしい料理でもてなしてくれるのがフレンチの名店「ラ・グランターブル ドゥ キタムラ」。一皿、一皿出される度に、ゲストは誰よりも何よりもまずその料理に心を掴まれ恋に落ちてしまうのではないだろうか。

情熱でしたためた一通の手紙が
渡欧への架け橋に


ラ・グランターブル ドゥ キタムラでは二回として同じ料理が出されることはない。来店した時のゲストの空気を瞬時に読んで料理を創造するという。ゲストを思い至る愛情がお皿の上にたっぷりと注がれている

ラ・グランターブル ドゥ キタムラでは二回として同じ料理が出されることはない。来店した時のゲストの空気を瞬時に読んで料理を創造するという。ゲストを思い至る愛情がお皿の上にたっぷりと注がれている

デザートのように美しい料理と絶賛される北村シェフの料理。美味しいだけでなく、うっとりとロマンチックな気分で満たしてくれる

デザートのように美しい料理と絶賛される北村シェフの料理。美味しいだけでなく、うっとりとロマンチックな気分で満たしてくれる

フレンチと言えば、どこかかしこまった空気を醸し出しているが、オーナーシェフである北村氏は、どこまでもおおらかで、限りなく明るい雰囲気を放っていた。この、際限ない明るさが10年以上にわたり、欧州での厳しい料理人の世界を生き抜くには必要不可欠であることが、話を聞いていくうちに徐々にわかってくる。

いったいこの大陸的な明るさはどこから来ているのだろか?

「小学生の頃に父を亡くしているので、母を助けるために、弟にご飯を作ったりしたのが初めて料理をしたきっかけでした。自分では気づいていませんでしたが、どこか寂しかったんでしょうか・・・TVや、結婚式で見る、明るく華やかな料理人の世界に次第に惹かれるようになっていきましたね」

陽気さだけでない生きる強さが北村氏の明るさの光源なのかもしれない。

16才。北村氏は母親に相談することなく料理人として生きる道を選んだ。

岐阜のホテルで初めて料理を学び、その後、いとこが経営するフレンチレストランを手伝ううちにフランスへの憧憬が高まっていった。そして、17才の時、初めてフランス料理を勉強するためにパリを旅した。その時の想い出を胸に、いつかは本場パリで修業をしようと一人、心に決意した。

お金を貯め、知り合いのつてを辿り、手伝ってもらいながらフランス語で綴った手紙を何度も何度も出し、やっとの思いで料理人シャルル バリエ氏に21才の時、巡り会う。あのフレンチの神様ロブションに父と言われ、長年三ツ星を維持しつづけた人物である。

レストラン「バリエ」はロワール地方のトゥールにあり、美しい自然と日本から来た青年には見たことのない豊な食材にあふれた街だった。

「パリから長時間、電車を乗り継いでバリエに着いた時、マダムが明日の朝8:30にお店に来なさいと時計の針を絵で書いてくれたのが一番最初でした。片言のフランス語しかわからない私をマダムは、かわいそうだから一週間は置いてあげて、後は帰ってもらおうと思っていたらしいです(笑)。でも、しがみついてでも一流になるんだという一途な情熱が通じたのか、バリエの家族は私に今まで経験したことのない愛情を注いでくれました。その愛情はその後、私が歩む人生を支える根幹となり、人を感動させる料理には愛情がなくてはならないという哲学を身を持って教えてくれました」

行けば何とかなるほど海外での修行は甘くない。何とかするしかない、後はない。物事に遅い早いはないが、修行をするなら素直で何事にも一途に向かい合える若い時のほうのが吸収も立ち直りも早くていいかもしれないと北村氏は助言する。

持ち前の明るさと、どんな環境にも溶け込めるメンタルが、海外では武器になったという。「・・・それでも一年目は、やっぱり寂しかったかな」と北村氏はぽつりとつぶやく。一年も満たないうちに志半ばで日本へ帰ってしまう料理人は少なくない。

孤独と不安、そして緊張が入り交じりながらもフランス人になりきること。日本人同士の仲間の枠を大きく越え、ヨ-ロッパ人の友達を一人でも多く作ることを北村氏は厳しく課し、料理だけでなく映画に行ったり、ピクニックに出かけたりとヨーロッパの文化を積極的に吸収することを心がけた。


世紀最高の料理人と称されている
ジョエル・ロブション氏の待つパリへ


色鮮やかな料理には「洋服と同じように料理もオートクチュールでありたい」という情熱が秘められている 色鮮やかな料理には「洋服と同じように料理もオートクチュールでありたい」という情熱が秘められている

色鮮やかな料理には「洋服と同じように料理もオートクチュールでありたい」という情熱が秘められている

トゥールに来て、ちょうど一年が過ぎようとしていた頃だった。かねてからの夢であったパリの三ツ星レストランで修業をしたいという北村の思いを知ってか、バリエ氏はロブション氏がパリに初めてレストランを独立オープンさせた「ジャマン」で北村が修行できるようにと推薦状を出し、手はずを整えてくれたのだ。

「バリエ」では、ゆるぎない古典的フランス料理をしっかりと学び、「ジャマン」ではロブション氏の革新的で精密な料理技法を吸収していった。北村は「食材に敬意を表すること。五感を研ぎ澄まし食材と向き合い、それらの持つ可能性を最大限に引き出す」というロブション氏の料理哲学を直々に受け継いでいる料理人の一人である。

北村氏が創りだす料理はよく女性的だと言われ女性ファンも多いが、繊細さだけでなく大胆に鮮やかな色彩を操る料理は生命力にあふれ力強い。たった一人で見知らぬ国へ行き、どんな時もアグレッシブに前へ前へと突き進むしかなかった北村氏の生き方そのものが醸成され、最高の一皿となっている。

色が好きだという。

「赤い京えびを使った料理には、あえて挑戦的な赤でふちどられたお皿を重ねてみたりね。パリにいた時、付き合っていた彼女がオートクチュールのデザイナーだったんです(笑)。たまの休みには服や色鮮やかなテキスタイルを一日見てまわったり。そんなことも影響してるんでしょうか」と少し照れながら北村氏は話してくれた。

料理を創り上げる世界は華やかさと憧れに満ちている。絶えず明るい口調で修行時代を語ってくれる北村氏だが、厨房での北村氏は一瞬も気を抜くことのできない、勝負と緊張の日々が続いたことは象像に難しくない。

そして、パリから遠く離れた「バリエ」が日曜日忙しいと聞けば、土曜日、「ジャマン」での仕事を終えてから夜行列車に乗り、店を手伝いに行き、最終電車で翌日にはパリに戻るという日々もあったという。

人との出会いを大切にし、感謝の気持ちを忘れず努力を続ける北村氏をまわりが放っておくはずがない。

ある日、ロブション氏が北村に声をかけてきた。

「次に修行へ行きたい店を5件、紙に書いてきなさい」と。

この時も、北村はバリエ氏がそうだったようにロブション氏からも深い愛情を受け、世界最高峰と評されるスイスのレストラン「ジラルデ」へと導かれた。

ちょうど30才を迎えた時だった。


世界最高峰ジラルデの経験は、
新しい舞台へと繋がっていった


白壁は武家屋敷の面影を残し、名古屋市によって町並み保存地区に指定されているため、北村シェフの料理を愛する多くの著名・財界人から署名を受けレストランをオープンさせている。

白壁は武家屋敷の面影を残し、名古屋市によって町並み保存地区に指定されているため、北村シェフの料理を愛する多くの著名・財界人から署名を受けレストランをオープンさせている。

歴史的文化財である茶室の趣きを残したゲストルーム

歴史的文化財である茶室の趣きを残したゲストルーム

フレディ ジラルデ氏に一番最初に日本人が師事したのは、世界が認めたフレンチシェフ、三國氏だった。そして、四番目に師事した日本人が北村である。料理人を志した時から憧れ続けてきた料理人・三國氏に、北村はすでに見えない何かに引き寄せられていたのかもしれない。

ジラルデで北村氏はオーナーシェフの次に位置するスーシェフまでに昇りつめて行った。最高の料理を完成させるだけでなく、本場フレンチ界を進化させていく新しい料理を考え、生み出していかなければならないという地位である。この時、料理の新しい見方や考える力を鍛えられたと北村氏はいう。

「ふと気づくと、日本を離れて13年あまりの月日が流れていました。永住という思いも頭をよぎりました。しかし、日本に残してきた母を想うとどうすることがよいのか考えあぐねていた頃でした。名古屋マリオットアソシアホテルにミクニナゴヤをオープンさせるので、私を料理長にと三國氏から声をかけて頂いたんです」

フレンチが根付かないと言われいる名古屋で北村氏のミッションはそんな簡単な話ではない。

「ミクニというブランドを守り、売上を上げるために、とにかく最高の舞台を作り上げるんだと一心に思っていました」

結果、ミクニナゴヤはいつも3ヵ月先まで予約がうまり、北村シェフを熱望するファンも次第に増えていった。

ホテルは個人がブランドになってはいけないという。キタムラという個性が隠しきれていないと感じた時、3年間ミクニナゴヤで料理長を務めたが、もうミクニではなくキタムラという自分の舞台を持ったほうのががいいのだろうと、2004年にラ・グランターブル ドゥ キタムラを静かな景観と文化が薫る白壁にオープンさせた。

歴史的文化財である茶室と旧邸を改装した店内は、外からのイメージとは全く異なるヨーロッパが広がっている。約60席を28名のスタッフのもてなしにより、贅沢なひと時を過ごすことができる。

「小さなお店もいいけれど、60席位のお店にこだわっていました。そのほうのがお客様にできるサービスの幅もサプライズも大きく変わってきますから」

夢を叶えたいなら、最初から小さい夢を持つより大きい夢を持ったほうのがいいと北村氏は強く言う。

ラ・グランターブル ドゥ キタムラは今年で6周年を迎える。

6周年記念として、東京・青山「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ」のオーナーシェフ 成澤由浩シェフら、日本はもちろん世界で名を馳せるそうそうたるシェフとソムリエのコラボレーションが催されるという。

トップランナーの攻めの疾走は止まりそうにない。


北村 竜二氏(45才)
ラ・グランターブル ドゥ キタムラ オーナーシェフ
PROFILE

北村 竜二氏(45才)
ラ・グランターブル ドゥ キタムラ オーナーシェフ

16才で料理人を志す。ホテルで和・洋・中の料理を学び21才でヨーロッパに渡る。10年以上にわたり、フランスの「シャルル・パリエ」「ジャマン」「タイユヴァン」等、三ツ星レストランで修行を積み、スイスの「ジラルテ」ではスーシェフとして活躍。帰国後、「ミクニナゴヤ」の料理長を務めた後に、2004年名古屋の白壁にラ・グランターブル ドゥ キタムラをOPENさせる。昭和39年生まれ、岐阜県出身。


PROFILE
商号 有限会社キタムラコーポレーションズ
設立 2004年
代表 代表取締役 北村 竜二
本社 〒461-0018 名古屋市東区主税町4-84
PROFILE
■ラ・グランターブル ドゥ キタムラ
〒461-0018 名古屋市東区主税町4-84
桜通線「高岳駅」2番出口より徒歩12分
11:30-14:30 17:30-21:30 不定休
TEL 052-933-3900
HP http://french-kitamura.jp

2010年3月掲載


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